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2019年11月26日

ペンの日

「面倒くさがり」の対義語は「面倒くさい奴」


じゃんけんする時「最初はグー」って言う文化は自分の育った環境にはなかった。

うろ覚えだけど筒井康隆が実験的に読点を一切打たない文章を書いて大して読みにくいってことないから読点なんかいらんのやみたいなことを書いてた。それを昔読んで以来読点を必要最小限に留めるようにしてる。

以前意識高い女子大生の間で、将来は国連で働きたいって言うのがにわかに流行ってた件。

電車のつり革につかまってたら、前の席に座ってる男の脚がやや投げ出し気味で邪魔だった。それだけならまあ許せる範囲なのだが、その男は携帯でテトリスをやってたことで腹が立った。架空のブロックを整理することに執心する前にお前の脚を上手いこと空間に納めろと。そしたら横一列消えて俺が座席に座れるだろ。

好きな押尾学語録
「一人の時でもポテチはパーティー開け」

喉が乾いて水を飲もうと思って、その水でついでに薬も飲んだりすると、水分補給としての水の美味しさが損なわれて薬を胃に流し込むための水でしか無くなってしまうのが残念で、もう一杯飲む。

イヤホンは左右どちらにつけようが自ら判断して右耳には右用、左耳には左用の音を鳴らすようにできないんだろか。

向いてないことの例えで「先端恐怖症の人がフェンシング始めるようなもんだろ」って言うのどっかで使いたい。

プリンターに「しょうもない書類なのでインクが足りなくて少々かすれてもいいから力ずくで実行する」というボタンをつけてほしい。

よく映画で見る刑務所の面会室で、境のガラス窓にある声を通すための丸い穴の空け方が雑。

昔VHSの低画質を小さいテレビで観て、よかったなと記憶してる映画を、現代の高画質、大画面、高音質で見返すと新たな感動や発見があるのではないか、と期待して観ても当時と印象がまったく変わらない。

映画は大画面で観なくちゃとか嘘です。

小学生の頃、遠足や部活などで弁当をもって行くとき、裕福な家庭が多い地域に住んでいたせいか他の子の弁当はすごく豪華だった。自分の家庭も特に貧しいわけではなかったけど母の作る弁当は一番貧相だった。
これは母が手を抜いてるわけではなく、母が他の子の弁当を見る機会がないので現代における、この地域の子供が持たされる弁当の水準を把握しておらず、母の子供時代の水準でこんなもんでいいだろうと思ってるんだと半ば諦観すると同時に他所の子の弁当の豪華さについて説明する煩しさもあり、母に弁当について文句を言ったことはなかった。

「個人的には」と前置きされると、君はずっと個人的な話ししかしてないのに、あえてそれ必要か? と思うことが往々にしてあるので、よく考えて使っていただきたい。

東京フレンドパークって毎週やってる時はしょうもないと思ってたけど、特番で復活してるのを観ると、なんかほのぼのと楽しげでいい番組だなと思った。

何かのサポートせンターに電話して「では〇〇様のご登録情報を確認いたしますので少々お待ちください」と言われ、しばらくした後、「お待たせいたしました」と言われた時なんと言っていいのか分からない。
「はい」と答えれば待たせやがってという意味にとれるし、「いえいえ」と答えると、そこまでかしこまる必要ないだろと思う。なのでいつも「あ、いやいえああ」などと曖昧な返事をしてしまう。どうすればいいのでしょうか。

投稿者 Fushida : 2019年11月26日 22:40